粒日記

東京暮らし10年。夫と2人暮らし。日々思うこと。

1年前、母が死んだ(前半)

一青窈の「影踏み」という曲を、最近よく聞いている。

最初はなんとなく曲調が好きだなと思って聞いていたのだけど、いろんな解釈ができそうな歌詞がなんだか気になって調べてみた。そしたらこんなエピソードがあった。

離婚して母子家庭で育った友人が結婚するとき、離れて暮らしている父親からの手紙(メールだったかも)を見せてもらったら

「いつのまにか大きくなっても 僕よりうんと幸せがいい」

ということが書いてあったのだと。

 

その情景をイメージして、それからその曲をもっと聴くようになった。

 

1年前、突然母が死んだ

話は変わるが、離婚でなくても親と子が離れ離れになるきっかけのひとつが「死」だ。

私の母は昨年夏に亡くなったのだけど、息を引き取る数時間前まで、いつものように仕事に行きとても元気だった。で、突然死んだ。

私が父からその連絡を受けたのは、近所のファミレスで溜まった原稿をチェックしている最中だった。時間はたしか22時頃。ファミレスでPCの画面を眺めながら苦い顔をしていたら、珍しく父から電話がかかってきた。いつもなら、出なかった。

私は父が苦手だったし(今も苦手だけど)、普段から親と連絡を密に取るような関係ではなかったから。そもそも父からは連絡がほとんどこなかったし、母からたまに来る「元気にしてる?」「ちゃんと食事してる?」「仕事はどう?無理しないでね」という私の体を気遣ってくれるメールも、忙しさのなかに埋もれ数日間スルーするみたいなことばかりだったから。

だけど、その日はなぜか電話に出ようと思った。

通話ボタンを押して、携帯を耳にあて「もしもし」と言ったら、電話口からは何も聞こえてこなかった。「もしもし?お父さん?なに?」と、PCの画面に映っている原稿を読みながら無愛想に言った。

 

「お母さんが死んだ」

 

それだけ言って、また電話の向こうは静かになった。ただ、本当に小さく微かな音だったけど、父親が泣いているのだけはわかった。

私はまず笑った。まず最初に「はあ?」って言ったと思う。「いや、は?」「いやいやなによ」とか私が言っても父は何も答えなかった。電話口はずっと無言のままで、涙をすする音しか聞こえない。

「やめてよ」「なにそれ」「は?」「いやいや」「どんな冗談」「なに言ってんの」「ちょっと、なにそれ。やめてよ」とか、笑いながら何かを言い続けて、でも電話口からは何も返答が返ってこなかった。多分その間は1〜2分だったんだうけど、体感ではすごく長い時間に感じたし、時間がすごくゆっくりゆっくり流れている感覚がした。

「お母さんが死んだ」

父がまたそう言った。いやもういいから。そういう冗談いらんから。忙しいんだから、そういうのやめてよ。そう言ったら、父はまたしばらく黙った。

 

5分くらいだっただろうかな。

お互いに無言が続いて、その間に私はいろんなことを脳内で駆け巡らせて、父は父で落ち着こうとして静かにポツポツと話し始めた。

 

・その日の夕方にいきなり体調が悪くなったこと

・そのとき仕事中の父に母から「具合が悪い」と電話があったこと

・近くに住んでいる叔父が代わりに母を病院に連れていったこと

・病院について3時間ほどで、母が息を引き取ったこと

 

遠い国の遠い土地の、知らない人の話を聞いているような感覚で、私はとにかく「うんうん」と泣きながら話す父の話を聞いた。悲しさも感じず涙も出ず、そもそも自分ごとにも感じずなんだか夢の中にいるような気持ちだった。信じられないから半分笑いながら「え、なに?は?」って何度も聞いてた気がする。

 

父からのこの電話があった3日ほど前。母から1通のメールが届いていた。

 

2ヵ月後に私は都内で結婚パーティーを開くことになっていた。そのパーティーは両親に、会社の同僚や上司や学生時代の友達を紹介して「私はちゃんとこんな素敵な人たちに囲まれて幸せでいるよ」というのを見てほしかったからだった。

メールには「すごく楽しみにしてる」とか、「会社の上司やお友達だったり大切な人たちを呼ぶのだからこういうギフトを用意したら」とか、そういう内容だった。そして、いつものように最後には「体調に気をつけてね」「ごはんちゃんと食べてね」と私の体調を気遣うような文面が並んでいた。

私はすごく簡素に「大丈夫、元気。楽しみにしてて」とだけ返した。

 

でもさ今思うとそれさ、こっちの台詞だわ。あなたが体調、気をつけてよ。

深夜のファミレスで。泣くばかりで言葉を発しない父との電話の最中。母からもらったメールを思い出しながら全くか真実味のない感覚で、そう思った。

聞けば、時間帯が遅かったからか最初は兄も妹も電話に出なかったそうだ。だから父にとって「お母さんが死んだ」という言葉を発する一番最初が私だった。父は言いたくなかっただろう。言葉にしたら現実になってしまうから。

「お母さんが死んだ」と電話口で言った父は、私が生まれてから34年間見たことがないくらい弱々しくて、細い小枝のようにポキンと折れそうで細々しい声をしていた。

 

私はとりあえず静かに自宅に帰った。鍵を開け、いつものようにテレビをつけ、冷蔵庫にストックしてある缶チューハイを空け、冷静に床に座った。でも何も考えられない。体が動かない。どうすればいいんだろう。深夜0時、今すぐ実家にも向かえない。

もどかしさしかない。あとは、やっぱり現実味がなさすぎて泣きながらお酒を飲んだ。

 

そんなとき、深夜1時頃。夫がほろ酔いで帰ってきた。

夫:「ただいま!」

私:「おかえり」

夫:「あのさ、今日実はね」と笑顔の夫。

私:「あ、飲んでたの?」

夫:「そうそう。あのさ今日は実はね」

私「あのね。私のお母さん、死んだんだって」

 

この会話と空気はすごく覚えている。夫がドアを開けた音や、その後体育座りでぼーっとしている私、ひと言で酔いから冷めた夫の顔。なんだか鮮明に覚えている。もう1年なんだな早いなあ。

 

※後から知ったのだけど、夫が行っていたその飲み会は、実は2ヶ月後の結婚パーティーで私の好物のおふくろの味(母が作る料理のなかで一番私が好きなのが手作りのコーンスープだった)を再現するサプライズな企画だったらしい。それを聞いたのは、少し後だったけど。

後半は、母の死に対して自分なりに感じたことをまとめようと思う。あくまで建設的な。あとは自分自身の気持ちの整理もあるけども。