自然消滅する人ってどうなの
気づけば二ヶ月会ってない。なんなら連絡も一ヶ月近くない。時間の流れは残酷だ。
ドタキャン2回。冷たい態度。ああ、はい、そうですか。もう私にはもう時間を確保する価値がないのねと思ったから連絡をしなかったけど、こうも連絡がないとだんだん、腹が立ってくる。なんやと思っとんねん。こっちも暇じゃないんだぜ。
自然消滅でフェードアウトする人って信用できない。仕事でも同じことしそうだし、そもそもそういう人はいつでも逃げられるようにブラックボックス化してることが多いし、信頼が置けない。
ただ待ってしまうというのも、深く掘り出すとただ執着しているというだけで、実がない。中身が伴っていない。早く、3年くらい経てばいいのに。早く、記憶からなくなればいいのに。時間の酷さを早く実感したいものです。
うやむやで、気持ちが離れてしまったのに確認できないプライドよ
うやむやなものほど気持ちの悪いものはない。
白か黒か、マルかバツか。
好きか嫌いか有りか無しか。
とどのつまりはどちらかしかないのに。
どうしてこうもうやむやになるのだろう。
いつか、なのか、もしかしたら、なのか。
でも保険をかけたところで使った試しがない。
わかっているのは、有りか無しかが決まらないから、踏ん切りがつかないことだ。例えるなら。ゴールテープが見えるのが今日かもしれない、明日かもしれないと終わりが見えないランニングのなかで、たまに差し出される水みたいなもの。
もしかしたら、もう少し走ったら、頑張ったら、またこの先に給水所があるかもしれない。また水がもらえるかもしれない。そんな先の見えない霧深い道で、私は一体いつまで走り続ければいいんだろうか。
たまにズルをして歩いたりしたし、逆に猛ダッシュをかけたりもした。長く早く走れるようになりたくて、筋トレしたり新しいシューズも買った。苦手な腹筋を始めて、アシックスだったスニーカーを半ば無理してナイキに変えた。変われたと思ったし、それらは評価されてると思ってた。なのになんだよ、代表落ちかよ!みたいな気分。頑張ったけど、いやあんまり頑張ってなかったかもしれないけど、努力がすべて報われるとは限らない。あんまり弱音吐きたくないけど、報われなかったもんね。
こうして愚痴を書いている間も、返事がくるかもしれない、まだチャンスがあるかもしれないと淡い期待をしてる自分もいるんだけど。無様だ。哀れだ。
たまたま、タイミングが合わないだけだ。いつかは、いつかは、いつかは。明日こそは、明後日こそは、来週こそは。って思いたい。だけど、いつかっていつなのよ。
色々言い訳はできるだろう。待てと言われれば待つし言われなかったらあっという間に年が越えちゃうんだろう。要するにつまり、私はもう頑張るに値しない存在ということ。そのまま放っておいてどこかに行っても仕方ないで済むような、もはや執着心が薄れてるってこと。
他でも埋められる。趣味でも仕事でも家族でも友達でも。だって、大切なものなんてそんなにたくさんないって、言ってたじゃん。その中にもう私はいないことを薄々気づいてはいる。
なんかの記事に書いてあった。ゴールこそ最大限の演出をしろと。ありがとうと思ってるけど最近はイライラしたり、ストレスの種にしかなってないけど、最後はうんといいゴールテープの切り方してやる。そしていつか、私を代表から外したことをたくさん後悔すればいい。たくさん後悔して切なくなってがっかりして、なす術なくて。そこが私の本当のゴールなんだなと思う。
1年前、母が死んだ(前半)
一青窈の「影踏み」という曲を、最近よく聞いている。
最初はなんとなく曲調が好きだなと思って聞いていたのだけど、いろんな解釈ができそうな歌詞がなんだか気になって調べてみた。そしたらこんなエピソードがあった。
離婚して母子家庭で育った友人が結婚するとき、離れて暮らしている父親からの手紙(メールだったかも)を見せてもらったら
「いつのまにか大きくなっても 僕よりうんと幸せがいい」
ということが書いてあったのだと。
その情景をイメージして、それからその曲をもっと聴くようになった。
1年前、突然母が死んだ
話は変わるが、離婚でなくても親と子が離れ離れになるきっかけのひとつが「死」だ。
私の母は昨年夏に亡くなったのだけど、息を引き取る数時間前まで、いつものように仕事に行きとても元気だった。で、突然死んだ。
私が父からその連絡を受けたのは、近所のファミレスで溜まった原稿をチェックしている最中だった。時間はたしか22時頃。ファミレスでPCの画面を眺めながら苦い顔をしていたら、珍しく父から電話がかかってきた。いつもなら、出なかった。
私は父が苦手だったし(今も苦手だけど)、普段から親と連絡を密に取るような関係ではなかったから。そもそも父からは連絡がほとんどこなかったし、母からたまに来る「元気にしてる?」「ちゃんと食事してる?」「仕事はどう?無理しないでね」という私の体を気遣ってくれるメールも、忙しさのなかに埋もれ数日間スルーするみたいなことばかりだったから。
だけど、その日はなぜか電話に出ようと思った。
通話ボタンを押して、携帯を耳にあて「もしもし」と言ったら、電話口からは何も聞こえてこなかった。「もしもし?お父さん?なに?」と、PCの画面に映っている原稿を読みながら無愛想に言った。
「お母さんが死んだ」
それだけ言って、また電話の向こうは静かになった。ただ、本当に小さく微かな音だったけど、父親が泣いているのだけはわかった。
私はまず笑った。まず最初に「はあ?」って言ったと思う。「いや、は?」「いやいやなによ」とか私が言っても父は何も答えなかった。電話口はずっと無言のままで、涙をすする音しか聞こえない。
「やめてよ」「なにそれ」「は?」「いやいや」「どんな冗談」「なに言ってんの」「ちょっと、なにそれ。やめてよ」とか、笑いながら何かを言い続けて、でも電話口からは何も返答が返ってこなかった。多分その間は1〜2分だったんだうけど、体感ではすごく長い時間に感じたし、時間がすごくゆっくりゆっくり流れている感覚がした。
「お母さんが死んだ」
父がまたそう言った。いやもういいから。そういう冗談いらんから。忙しいんだから、そういうのやめてよ。そう言ったら、父はまたしばらく黙った。
5分くらいだっただろうかな。
お互いに無言が続いて、その間に私はいろんなことを脳内で駆け巡らせて、父は父で落ち着こうとして静かにポツポツと話し始めた。
・その日の夕方にいきなり体調が悪くなったこと
・そのとき仕事中の父に母から「具合が悪い」と電話があったこと
・近くに住んでいる叔父が代わりに母を病院に連れていったこと
・病院について3時間ほどで、母が息を引き取ったこと
遠い国の遠い土地の、知らない人の話を聞いているような感覚で、私はとにかく「うんうん」と泣きながら話す父の話を聞いた。悲しさも感じず涙も出ず、そもそも自分ごとにも感じずなんだか夢の中にいるような気持ちだった。信じられないから半分笑いながら「え、なに?は?」って何度も聞いてた気がする。
父からのこの電話があった3日ほど前。母から1通のメールが届いていた。
2ヵ月後に私は都内で結婚パーティーを開くことになっていた。そのパーティーは両親に、会社の同僚や上司や学生時代の友達を紹介して「私はちゃんとこんな素敵な人たちに囲まれて幸せでいるよ」というのを見てほしかったからだった。
メールには「すごく楽しみにしてる」とか、「会社の上司やお友達だったり大切な人たちを呼ぶのだからこういうギフトを用意したら」とか、そういう内容だった。そして、いつものように最後には「体調に気をつけてね」「ごはんちゃんと食べてね」と私の体調を気遣うような文面が並んでいた。
私はすごく簡素に「大丈夫、元気。楽しみにしてて」とだけ返した。
でもさ今思うとそれさ、こっちの台詞だわ。あなたが体調、気をつけてよ。
深夜のファミレスで。泣くばかりで言葉を発しない父との電話の最中。母からもらったメールを思い出しながら全くか真実味のない感覚で、そう思った。
聞けば、時間帯が遅かったからか最初は兄も妹も電話に出なかったそうだ。だから父にとって「お母さんが死んだ」という言葉を発する一番最初が私だった。父は言いたくなかっただろう。言葉にしたら現実になってしまうから。
「お母さんが死んだ」と電話口で言った父は、私が生まれてから34年間見たことがないくらい弱々しくて、細い小枝のようにポキンと折れそうで細々しい声をしていた。
私はとりあえず静かに自宅に帰った。鍵を開け、いつものようにテレビをつけ、冷蔵庫にストックしてある缶チューハイを空け、冷静に床に座った。でも何も考えられない。体が動かない。どうすればいいんだろう。深夜0時、今すぐ実家にも向かえない。
もどかしさしかない。あとは、やっぱり現実味がなさすぎて泣きながらお酒を飲んだ。
そんなとき、深夜1時頃。夫がほろ酔いで帰ってきた。
夫:「ただいま!」
私:「おかえり」
夫:「あのさ、今日実はね」と笑顔の夫。
私:「あ、飲んでたの?」
夫:「そうそう。あのさ今日は実はね」
私「あのね。私のお母さん、死んだんだって」
この会話と空気はすごく覚えている。夫がドアを開けた音や、その後体育座りでぼーっとしている私、ひと言で酔いから冷めた夫の顔。なんだか鮮明に覚えている。もう1年なんだな早いなあ。
※後から知ったのだけど、夫が行っていたその飲み会は、実は2ヶ月後の結婚パーティーで私の好物のおふくろの味(母が作る料理のなかで一番私が好きなのが手作りのコーンスープだった)を再現するサプライズな企画だったらしい。それを聞いたのは、少し後だったけど。
後半は、母の死に対して自分なりに感じたことをまとめようと思う。あくまで建設的な。あとは自分自身の気持ちの整理もあるけども。
「なんで結婚したんですか?」
この前、ライターさんと打ち合わせをしていたら「なんで結婚したんですか?」と聞かれた。ちなみに、恋とか愛とかそういうテーマの記事の打ち合わせだったから決して恋バナを楽しんでいたわけではなく、仕事の話から自然な流れで。
で、結論としてはうまく答えられなかった。
「なんでかなー」
「自然な流れかなー」
みたいなことをトツトツと話したけど、なんか向こうもピンときてなくて、喋ってる自分もピンときてなくて。それから数日間考えていた。
ライターさんに質問されたとき。「夫とは友達夫婦みたいな感じですね」と言ったら「じゃあ、“友達”じゃダメなんですか?」「結婚しなくてよくないですか?」と返されて「たしかに」と思った。
まず、私は友達が少ない。数少ない友達はいるにはいるけど連絡をとったり気軽にごはんに行ける(または行きたいと思える)人は片手で余裕で足りる。その中で一番気兼ねせず、無言の時間に焦ることもなく、自然体でいられるのは世界で夫ただ1人だけ。
じゃあ家族だったら気を遣わないじゃんという人もいるかもしれないけど、親や兄弟にこそ気を遣う。一番のナショナルクライアントだくらいの気持ちでとにかく気を遣って、結果疲れる。実家にいても気が休まらないし、親が望んでいる娘、妹が望んでいる姉を演じる。とにかく疲れる。でも、大切だ。
大切か、大切じゃないか
自分にとって「大切か大切じゃないか」はすごく重要な境界線だ。基準でもある。友達や家族は大切だけど疲れる。そんななかで「疲れないし、かつ大切」という両方を備えているのは夫だけだ。
かつて、すごく好きになったある男性がいた。かっこよくておしゃれで仕事もできて人望も厚くてお金持ちっていう、男性からも女性からも「モテる」要素をたくさん持っている人だった。現にすごくモテるようだった。
だから女性の扱いも上手で(だから結婚も数回していたし笑)、私も他の女性たちと同じように彼に夢中になった。毎日彼のことを考えては、会いたい会いたいとばかり思ってた。好かれるためにダイエットしたりファッションや美容も気を遣った。喜んでもらいたくて誕生日やイベントごとも頑張った。デートをドタキャンされても何も言わずに我慢した。忙しい彼の理解者になりたくて「仕事頑張ってね」「無理しないでね」とか理解を示すアピールをした。そばにいるだけでドキドキして、胸がぎゅうとなって。その男性に恋をしている間に辛いという感情もたくさん感じたけど、喜びもたくさん感じた。
大切な存在だった。ただ、むちゃくちゃ疲れた。彼は恋の醍醐味や楽しさを教えてくれたけど心と体はぐったりしていた。頑張って無理をして疲れる。いやいや、それなんていう修行ですか。残ったのは都合のいい関係と、それに対する虚しい感情だけだった
結婚してる身でこんなこというのもあれだけど、これからの人生でまた夢中になるほど好きになる男性が現れるかもしれない。そもそも夫の見た目は私のタイプじゃない。かつて夢中になった彼のように異性としてのドキドキや色気を感じることもない。だからすごくタイプな人に出会ったら恋に落ちるかもしれない。だけど夫ほど「大切」で「疲れない」ような人はもう現れないと思う。
そのハードルは低いように思えるけど、実はすごく高い。もともと友達が少ないというのもあるけど、親兄弟でさえ疲れる私にとっては特に「疲れない」という存在はものすごく大きい。「疲れない」というのは相手が与えてくれる安心感があることや、価値観が近い(ズレを埋めたり無理しなくていい)という意味でもある。離婚の原因で多いといわれる「性格の不一致」は、とどのつまりお互いのズレを埋めたりどちらか片方が無理することから生まれる“疲れ”の蓄積だと思う。
大切ランキング1位=超親友=夫
少し話はそれるけど、恋人に対してはヤキモチをあまり焼かない。というかそういう感情自体が湧いてこない。束縛したいと思ったこともない。そのせいか今までお付き合いしたことがある男性からはことごとく「冷たい」とか「淡白」とか言われ続けてきた。だけど、そんなことはまったくない。“超親友”に対してはものすごくヤキモチを焼く。男女限らず私以外の誰かと仲が良さそうなのを見ると嫉妬と独占欲が止まらない。そうなると、すごく感情的になる。常に私が一番近い存在でありたい。そこに対する執着は強いと思う。(ちなみに超親友というのは親友の中でも特に上位な親友のこと)
家族や親友への「好き」はよほど大きな事件やトラブルがない限りはなかなか変わらない。だけど恋の「好き」は長くは続かないしいずれ消滅する。恋は時間が経過するごとに薄れていくけど、情は時間が経過するごとに絆になって深まっていく。
***
結論として、なぜ夫と結婚したかというと。自分にとっての重要度が「情>恋」だからだ。もっと詳細にいうと「超親友>家族>親友>恋人≒友達」だからだ。大切な存在ランキングの頂点にいる超親友が今の夫だったからだ。そこにドキドキがあるとかないとかはどうでもいい。
ただの友達や親友だったら結婚しなくていい。でも超親友だからこそ独占したい。私がその人にとっての一番でいたい。結婚は、一番であり続けるための手段のひとつ。もしも超親友が女性だったら私はまだ独身のままだったかもしれない。
ちなみに、夫も私と似て友達が少ないので今のところ「君が一番の親友だ」と言ってくれている。ありがてえ。
夫が別の女性を好きになることだってあるかもしれない。だって長い人生だもの、恋に落ちる可能性はいつだってどこにだってある。私はズボラだし家のことは全部任せっきりだし酒グセ悪いしかわいくもないし貧乳だし。世の中には、魅力的でかわいくて献身的な女性なんて星の数ほどいるし。夫の見た目がタイプじゃないとか言っておきながら、夫にとっても私は「そもそもタイプじゃなかった」可能性だってかなり高い。
今後もし夫がタイプの女性に出会ったら、その人に恋をしてもかまわない。でも、一番の超親友はずっと変わらずに私であってほしい。これは割とまじなお願いです。
筆を止めるな
「ブログ書こう」と決めていろんなブログサイトに登録したはいいけど、特段書くことがなくて、なかなか筆が進まず1年くらい経ってしまった。
仕事柄、他人が書いた原稿をチェックすることが多いのに、自分で書かないと書く力みたいなのがどんどん鈍ってくる(気がする)。
最近、素敵だな、胸に刺さるな、という文章をたびたび見かけるようになった。昔は自分は書くことが好きだし人より得意だと思ってた。でもなんだ、世の中には本当に書くことが上手な人がいて、それをただ知らなかっただけなんだな。井の中の蛙。
私よりも好きな人も得意な人も星の数ほどいて、その中をかき分けていくには、書き続けて書き続けて、自分の色が出ないと認知されない。共感されない。心に残らない。
で、ちょっと話が脱線するけども。
先日、話題になっている映画「カメラを止めるな」を観た。ワイドショーにも露出しているし最近ついに国内映画ランキングにも入ったみたいなことも聞くから、今じゃみんな知ってるくらいのすごく有名な作品。
映画はもちろん面白かったけど、その監督のお父さんが書いたFacebookノートがすごくよかった。泣いた。っていうか自然と涙出てた。
心に残ったり、琴線に触れる文章って、こういうのだ。
なんかすごく考えさせられた。
かつて自分の書いた文章で、誰かの心を動かしたり行動を促したりしたいと思っていた。それがどうだ。書くことが減ってからは、日本語として正しいかどうかとか、統一表記がどうだとか、揺れがあるとかどうだとか。そんなことばかり気にするようになっていた。どこへ行った。戻ってこい、私の情熱。
筆を止めないでおこう。なんでもいいから書き続けよう。書き続けてたら、また書きたいと思う何かが出てくるかもしれないし。
というわけで、とりあえず日記を書くことにしました。