粒日記

東京暮らし10年。夫と2人暮らし。日々思うこと。

うやむやで、気持ちが離れてしまったのに確認できないプライドよ

うやむやなものほど気持ちの悪いものはない。

白か黒か、マルかバツか。

好きか嫌いか有りか無しか。

とどのつまりはどちらかしかないのに。

どうしてこうもうやむやになるのだろう。

いつか、なのか、もしかしたら、なのか。

でも保険をかけたところで使った試しがない。

わかっているのは、有りか無しかが決まらないから、踏ん切りがつかないことだ。例えるなら。ゴールテープが見えるのが今日かもしれない、明日かもしれないと終わりが見えないランニングのなかで、たまに差し出される水みたいなもの。

もしかしたら、もう少し走ったら、頑張ったら、またこの先に給水所があるかもしれない。また水がもらえるかもしれない。そんな先の見えない霧深い道で、私は一体いつまで走り続ければいいんだろうか。

たまにズルをして歩いたりしたし、逆に猛ダッシュをかけたりもした。長く早く走れるようになりたくて、筋トレしたり新しいシューズも買った。苦手な腹筋を始めて、アシックスだったスニーカーを半ば無理してナイキに変えた。変われたと思ったし、それらは評価されてると思ってた。なのになんだよ、代表落ちかよ!みたいな気分。頑張ったけど、いやあんまり頑張ってなかったかもしれないけど、努力がすべて報われるとは限らない。あんまり弱音吐きたくないけど、報われなかったもんね。

こうして愚痴を書いている間も、返事がくるかもしれない、まだチャンスがあるかもしれないと淡い期待をしてる自分もいるんだけど。無様だ。哀れだ。

たまたま、タイミングが合わないだけだ。いつかは、いつかは、いつかは。明日こそは、明後日こそは、来週こそは。って思いたい。だけど、いつかっていつなのよ。

色々言い訳はできるだろう。待てと言われれば待つし言われなかったらあっという間に年が越えちゃうんだろう。要するにつまり、私はもう頑張るに値しない存在ということ。そのまま放っておいてどこかに行っても仕方ないで済むような、もはや執着心が薄れてるってこと。

他でも埋められる。趣味でも仕事でも家族でも友達でも。だって、大切なものなんてそんなにたくさんないって、言ってたじゃん。その中にもう私はいないことを薄々気づいてはいる。

なんかの記事に書いてあった。ゴールこそ最大限の演出をしろと。ありがとうと思ってるけど最近はイライラしたり、ストレスの種にしかなってないけど、最後はうんといいゴールテープの切り方してやる。そしていつか、私を代表から外したことをたくさん後悔すればいい。たくさん後悔して切なくなってがっかりして、なす術なくて。そこが私の本当のゴールなんだなと思う。